Hristo Stoichkov

向こう(神様)は空の上、こっちは地上だけど、俺にだって奇跡を起こすことができる。

俺の方がうまい。

─94年W杯得点王のストイチコフが、同じく得点王のオレグ・サレンコに向かって

どうしてチームが勝つと皆のお陰で、チームが負けると俺のせいなんだ!

神はブルガリア人だ。

─94年W杯で準決勝進出を決めて

神はブルガリア人だが、審判がフランス人だった。

─94年W杯準決勝でイタリアに敗れて

「神はブルガリア人だ」

 

もともとこの言葉は94年W杯アメリカ大会のヨーロッパ予選で生まれた。

対フランス戦の後半ロスタイム、ブルガリアは相手のミスを突いてゴールを決める。その瞬間、本大会の切符が手に入った。

 

その時「神はブルガリア人だ!神はブルガリア人だ!」と叫んだのは、ブルガリア放送局のコメンテーターだったが、それ以来、事あるごとにこのフレーズは登場するようになった。

 

本大会に入ると、ストイチコフを中心にブルガリア代表は快進撃を続け、準決勝のイタリア戦を迎える。この日もストイチコフは大会6点目となるPKを決めたが、試合は1-2でイタリアが勝利する。

 

試合終了後のストイチコフは怒り心頭で、「前半にもう一つPKがあったはずだ」と主張した。しかもその試合の審判が、予選で下した因縁の相手、フランス人だったことも、彼の怒りを倍加させた原因だったのだろう。

 

そこで彼は、「神はブルガリア人だが、審判がフランス人だった」という言葉を残したのだった。

フリスト・ストイチコフХристо Стоичков、Hristo Stoichkov、1966年2月 8日-)はブルガリア出身のサッカー選手指導者。 現役時代はフォワードとして活躍し、同国代表にも選ばれた。現役引退後はブルガリア代表やリーガ・エスパニョーラセルタ・デ・ビーゴで監督を務めた。

ブルガリア代表としては1986年にデビュー。1994年に開かれたワールドカップ・アメリカ大会ではクラシミル・バラコフと共にチームを牽引。準々決勝のドイツ戦において、75分に1-1の同点に追いつくフリーキックを決め勝利に貢献し、過去5回出場しなが ら1勝もあげることが出来なかった同国を初のベスト4進出に導いた。ストイチコフはこの試合を含め6得点を挙げ、ロシアオレグ・サレンコと共に大会の得点王に輝いた。

その後、1996年UEFA欧州選手権1996、1998年のワールドカップ・フランス大会にも出場したが、いずれもグループリーグ敗退に終わり、1999年に 代表から退いた。ストイチコフは国際Aマッチ83試合に出場し37得点を挙げた。