Alvaro Recoba

今日の試合が雨上がりのピッチなら、僕の左足で虹を描いてみせるよ。

試合に出ていないと、プレーしてる奴を嫉妬して死にそうになるけれど、そういう経験も大事なんだ。

僕の夢は、インテリスタの心の中に名を残すことなんだ。ひとつのクラブで生涯を終える時代ではないけれど、そう強く願っている。

アルバロ・レコバという名を永遠にさ。

アルバロ・アレハンドロ・レコバ・リベロ(Álvaro Alexandro Recoba Rivero, 1976年3 月17日 - )は、ウルグアイモンテビデオ出身、元同国代表サッカー選手。ウルグアイのダヌービオFC所属。

東アジア人のような顔立ちをしていることから、チーノ(el chino = 中国人)の愛称で呼ばれている。背番号20が気に入っているようでクラブでもウルグアイ代表でも好んで着けている。しかし、近年は別の背番号を着けること が多くなっている(トリノFC時代は背番号4、ウルグアイ代表での晩年は背番号10)。

1990年代後半から2000年代初頭を代表するファンタジスタの一人。絶好調時は「ジダンすら凌ぐ」とも言われたほどで、完全に1人で試合を決めてしまうほどの活躍をみせた。

レコバがインテルでの晩年に、監督を務めたロベルト・マンチーニからは出番を与えられず、不仲が続いた。マンチーニはレコバがチームを去る際、 「驚異的な才能を備えた選手だと常々思っていた。特に若い頃は素晴らしかった。私のキャリアの中でもあれ程の有り余る才能を目にする機会は無かった」としながらも「観戦する側としては楽しめるが、監督の身分としてマネジメントするには困難な選手だった」と述べている。