Osvaldo Ardiles

ゲームは、携わるもの全ての者に喜びを与えるものであるべきだ。

守備の修正点?一晩聞いてくれる準備はありますか?

代表監督というのは、国中で総理大臣の次に嫌われる存在。

2点差の試合はしばしばひっくり返される。

グラウンドに11の死体があったからだ。

─後半から3人の選手を同時に交代させたことについて

中盤を制する者はゲームを制する。

ショービジネスへようこそ。説明しにくいゲームでした。説明できる人間がここにいれば私の代わりにここへ座ってください。

─東京ヴェルディ監督時代、前半0-4とリードされたが、後半で追いつき引き分けた試合の記者会見で

サッカーから我々へのメッセージというのは非常にシンプルなもので、それは「何が起こっても不思議ではない」ということだ。

だからこそ、絶対勝つんだという信念を持つことが重要になる。

守備的になって90分間守り続けて負けたら、それは悲しい出来事だと思います。

若さゆえの愚かさも武器のひとつ。考えすぎると違う方向にいったりするが、彼らは長く考えない。だから彼らは恐れていない。

言いたいことを言う人間はたくさんいるが、良識と冷静さと豊かな経験に基づいて言いたいことを言える人間は、あまり多くない。

自信がなくなればなにも出来ない。自信のあるホペイロ(用具係)と、自信のないマラドーナだったら、私は自信のあるホペイロを使う。

オズワルド・アルディレスOsvaldo Cesar ARDILES1952年8 月3日 - )は、アルゼンチン出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(攻撃的MF)。愛称は「オジー」。弁護士資格を持つ事でも知られる。

1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会でオランダを破って優勝を果たした。アルゼンチン代表の主力としてダニエル・パサレラマリオ・ケンペスらとともにチームを牽引し、地元開催のワールドカップで同国の初優勝に貢献、大会最優秀 MFに選出された。続く1982年のワールドカップ・スペイン大会でも全5試合に フル出場した。また当時の代表は「エース以外の背番号はアルファベット順につける」という慣習があった為、『背番号1を付けたフィールドプレイヤー』とし ても有名であった。

1990年、イングランド2部のスウィンドン・タウンの監督に就任した。それまでのキッ ク&ラッシュの攻撃スタイルを一新し、南米的なパスサッカーを試みた。1部昇格を決めたものの、クラブの不正経理の疑いで昇格は取り消された。ニューカッスル・ユナイテッドの監督は1年も経たず に解雇されたが、ウェスト・ブロムウィッチでは1部昇格を果た した。そして1993年、混乱が続いていた古巣トッテナム・ホットスパーの監督に就任した。ドイツ代表 のユルゲン・クリンスマンやルーマニア代表のゲオルゲ・ポペスクらを獲得したが、チーム状態は良くならなかった。成績は残せなかったが、ファンに愛さ れた監督だった。メキシコを経て、1996年には清水エスパルスの監督として来日。その年のナビスコカップでチーム初のタイトル獲得に貢献した。2000年には横浜F・マリノスの監督に就任。セレッソ大阪との熾烈な第1ステージ優勝争いを制したが、翌年の予想外の成績不振で解任される。