Johan Cruijff

100mより30~40mを速く走ることが重要。だがもっと重要なのは、いつ走るかだ。

偶然は必然だ。

プレッシングは優れたテクニックの前では無力だ。

いつも攻撃していれば、これより楽しいことはないし、試合に敗れることもないさ。

勝利には貪欲に、しかし、散り際は美しく。

選手がうまくプレーできないのは、ポジションが適正じゃないからか、才能がないからかのどちらかだ。

ワンタッチこそ最高の技術。

大事なのは理論より実践だ。

サッカーで最も難しいのは3人目のプレイヤーを生かすこと。1人がボールを持ち、他のプレイヤーがパスをもらおうと走る。

このとき3人目が他のサイドを走るのが大事。

サッカーに必要なものは、技術、知力、スタミナだ。知力に勝れば、スタミナは抜きんでている必要はない。

フットボールはシンプルだ。でもなにが難しいってシンプルにプレーすることが一番難しい。

テクニックに関してはまったく問題ない。フィジカル面も大丈夫だ。ただし精神面は、観客の野次にさらされてみないと分からない。

─息子ジョルディ・クライフについて

バルサがボールをキープしている限り、相手は攻めることができないし点も取れない。しかし、バルサはできる。

バルサの補強はスイカと同じ。

─選手の獲得が下手なバルセロナの補強策を、開けて見なければ分からない、と皮肉って

まずボールコントロール。それがすべての基礎だ。ボールをコントロールできないなら、ボールを追いかけて走ることになる。

それではサッカーじゃない。別のスポーツだ。

プレーがうまくいくかいかないかは、だいたい5m以内で決まる。

才能ある若手にこそ挫折を経験させなければならない。挫折はその選手を成長させる最大の良薬だからである。

もし第二の人生があって、選手か監督かを選ぶことができるとしたら、私は迷わず選手の方を選ぶね。

サッカーについては、隅から隅まで知っている。

才能だけでは成功できない。他人の輝く才能を持つことをうらやむより、あなたの心に火をつけて努力しなければ成功はない。

エンターテイメントは勝利と同時に追求されるべきものだ。

覚えているのは、自分が一番上手かったということだ。

守りきって1-0で勝つより、攻め切って4-5で負ける方がいい。

フットボールチームには一人の独裁者が必要である。そして、バルセロナの独裁者は私である。

イタリアの選手は概して物を作らず、壊しまくる。自陣ペナルティーエリアからボールを蹴り出すことにのみ必死になっている。

サッカーは美しく勝つ攻撃的でなければならない。それは一種のショーだ。

例えば4-0でリードしていて残り時間が10分。こんなときはシュートをゴールポストに当てて、観客を『オオッ!』とどよめかせたほうが盛り上がる。

すべての短所が長所になる。良い監督は、あるプレイヤーの短所を別のプレイヤーの長所でカモフラージュする。

いいサッカーをやれば、80%は試合に勝てる。

才能のある選手は多いが、炎のようになれる選手が少ない。

毎日練習すれば、毎日、あなたは何かを学ぶことができるはずです。

とにかくサッカーのいいプレーヤーになるためには『ワーク(練習)、ワーク、ワーク』です。

私もそう思う。

─世界最高の選手だと言われることについて

私はサッカーを始めてから、自分より下手な選手としか接したことがないので、誰よりも彼らのことが分かっている。

─あなたのような天才に凡人の気持ちがわかるのかと聞かれて

私が来る前はクラブの金庫はいつも空だったが、私が出ていく頃には金庫はイッパイだった。

ドイツみたいに守備的にやってトロフィーだけ持ち帰るよりマシ。

イタリアは敵を倒せないが、敵がイタリアに負けることはある。

イングランドのサッカーは、見ている分には最も面白い。選手が危険を冒し、たくさんミスをするからだ。

ひとたびピッチに立ったら、人生同様、試合を満喫しないとね。

勝利に必要なら、私は親の仇でも使う。

過去の名選手がつけた番号は嫌だ。私自身が歴史を作れる番号がいい。

─14番を付ける理由について

ボールを持てば私が主役だ。決定するのは私で、創造するのも私だ。

私はもう、10年前ほど速くないかもしれない。しかし今は、もっとよく見えるようになったし、若くて速かった頃のようにエネルギーを消費しない。

─現役時代、ベテランの域に達した頃に

ヨハン・クライフJohan Cruijff、フルネーム:Hendrik Johannes Cruijff、1947年4 月25日 - )は、オ ランダア ムステルダムヘームステーデ) 出身の元サッ カー選手、および指導者。現役時代のポジションは主にFWセンターフォワードウ インガー)、MF(攻 撃的MF)。英語表記では「Cruyff」とも。

独自のフットボール理論とその傲慢とも取れる程の強烈なカリスマ性で、指導者としても実績を残した。1996年以 降は監督業からも退いてはいるが、選手としてもプレーしたFCバルセロナスペイン)やオランダ代表をはじめ、今も尚、サッカー界に多大な影響を与え続けている。

1988年に 監督としてFCバルセロナに戻ったクライフは、それまでの主力選手を大量解雇するなど低迷するクラブの再建に着手。多額 の費用を投じてフリオ・サリナスらスター選手たちを次々獲得していき、在任8シーズンの間にリーガ・エスパニョーラ4連覇(1990-94)を含む数々のタイトルを獲得。1991-92シーズ ンにはクラブ初のチャンピオンズカップ奪取を成し遂げた。このクライフが創り上げたチームは「エル・ドリーム・チーム」と称され、バルセロナの栄光の歴史に刻まれている。