Hennes Weisweiler

魚でも肉でもない選手は役に立たない。

たしかに誰でも監督になれる。だが良い監督は少ない。

技術なくして戦術なし。システムは決定的なものではなく、そこから選手が何を作るかが問題なのである。

システムの発達は、攻撃力と守備力の追いかけっこの歴史である。

シュートのチャンスが来たら、自分ひとりで相手を踏み倒してでもシュートするくらいの勇気と自信を持っていなければならない。

一瞬の躊躇やおびえでも、チャンスは逃げてしまう。

サッカーはチーム・ゲームだが1対1になった時は「絶対に負けない!」という強い意志と自信を持って戦え。誰も助けてくれない。

へネス・バイスバイラーHans "Hennes" Weisweiler1919年12月15日 -1983年7 月5日 )は、ドイツ出身のサッカー指導者、サッカー選手。

1970年代のドイツとヨーロッパを代表する名監督。日本では1.FCケルン監督時代に奥寺康彦を発掘した事で知られる。ゼップ・ヘルベルガーの下でケルン体育大学の主任講師として長く指導者の育成に携わっていた が、1964年にボルシア・メンヒェングラートバッハの監督に就任。ギュンター・ネッツァーベルティ・フォクツライナー・ボンホフら若く才能溢れる選手達を次々に見出し、一地方の無名クラブをドイツ随一の強豪クラブ へと成長させた。そしてドイツ国内でバイエルン・ミュンヘンと激しい覇権争いを繰り返し、またヨーロッパを席巻した。特に有名な話として 1971-72シーズンのUEFAチャンピオンズカップ準々決勝 インテル・ミラノ戦、カテナチオで知られる硬い守備が売り物の相手をホームで7-1と粉砕し た試合が挙げられる(サポーターの投げ入れた空き缶が原因で試合が無効試合になった事も合わせて)。