Aime Jacquet

殺されるかと思った。

─フランス代表監督時、エリック・カントナに代表を外すと伝えたときの気持ち

エメ・ジャケAimé Jacquet1941年11月27日 - )は、フランスロワール県出身の元サッカー選手、元サッカーフランス代表監督。

フランスのサッカークラブチーム・サンテティエンヌに12年間在籍。その後、リヨンボルドーでコーチを務めて優勝。1993年、 フランスがアメリカW杯予選で敗退し、本大会出場を逃し たのを受けてフランス代表監督に就任。エリック・カントナダヴィド・ジノラジャン=ピエール・パパンら当時のスター選手を外すなど、当初はメディアの批判にさらされていた。 又彼らに代わって、ジネディーヌ・ジダンティエリ・アンリシルヴァン・ヴィルトールなど移民、移民の子、移民の子孫を主力として据えた事から、国粋主義者に 脅迫される事になった。フランスの極右政党である国民戦線などは「ラ・マルセイエーズも歌えない連中をフランス代表とは認められない」と罵ったものである。

ジャケは見事にこれらのプレッシャーを跳ね返しUEFA欧州選手権1996で準決勝進出と結果を出し、1998年、 地元開催のワールドカップ・フランス大会でフランスにとってはじめてのワールドカップ優勝を果たし た。結果として1998年7月12日深夜、パリの シャンゼリゼ通りは「アレ・ラ・フランス(行け!フランス!)」の大合唱となり、あたり一面トリコロールの海となったのは国粋主義者達にとっては皮肉である。