Takeshi Okada

監督にとって一番重要なことは「決断」することである。その決断が正しいか間違っているかなど、神様以外誰にもわからない。

一人で全責任を負って「決断」するということは、本当に孤独な仕事である。

四六時中サッカーのことを考えていた。夜に目が覚めてメモを取ることもありましたよ。

でもその瞬間『今、世界中でこんなにサッカーのことを考えているのは俺しかいないんだ』と思うと、不思議に自信が湧いた。

私はここにいる誰よりも、日本代表が勝つためにどうするべきかを考えている自信がある。あなた方は自分で何もせず誰も責任を取らない。

私は自分でやって自分で責任を取る。

─マスコミに対して

名監督というのは、運が大事。運の悪い名監督なんて、聞いたことがない。

スポーツによってナショナリズムが喚起されているのは事実だが、健全なナショナリズムは決して悪いことではない。

多くの人が孤独感に苛まれている現代社会こそ、一体感を作ることの出来るスポーツが必要なのではないだろうか。

『W杯は戦争だ』と言うけどね、どこかで『これはスポーツである』『喧嘩ではなくスポーツ最高峰の戦いなんだ』と、一線を残しておかないと。

『戦争なんだから』なんて、むしろきれいごとだと僕は思う。

体育という明治以来の、どこか神聖視されるものと、芸能の間に挟まっているのが日本のスポーツ。

テレビはそのスポーツを、どんどん芸能のほうに押しやっている。

どれだけ多くの日本人に批判されても、卵を投げられたりして、自宅をパトカーで守られたりもしましたけど、

家族だけは「ご苦労様」と迎えてくれる自信があったんです。帰る場所がなかったら耐えられなかったかもしれません。

FIFAのランクで決まるなら、試合はいらない。

背負わなければならないことに直面したときには、戦う前からそれに負けてしまわないことだ。

そういう心がまえのうえに、人は全力を発揮することができる。

私は目標を先に決める。そこからその目標を達成するために何をすべきかを決めていく。

目標というのは手が届くか、届かないか、のところになければならない。

ギャンブルと勝負は違う。勝算がなければ勝負とは言わない。

後半は3点リードし、リスクを負わないサッカーをしてしまった。

100%のリスクを冒す必要はないのだが、50%はリスクを負うようなサッカーをしなければならない。

サッカーの代表選手というのは、その国の社会、国民性、文化、歴史、伝統、これらすべてを反映しているんです。

もし選手一個人を、がんばりが足りない、やる気がない、と批判するなら、その批判をするあなた自身をも反映しているんですよ。

俺は1対1で戦えない奴は嫌いだ。

─代表監督に就任した最初のミーティングで

私はあなた方に要請されてコーチになったのではなく、加茂さんに呼ばれたのだ。

─97年仏W杯アジア予選。成績不振を理由に加茂監督を更迭し、代わって監督就任を要請する日本サッカー協会上層部に対して

お前を殺してやろうかと思ったよ。とにかく決めてくれてよかった。

─97年、ジョホールバルでのイラン戦。延長の末ゴールデンゴールを決めた岡野雅行に対して

サポーターはチームと共に闘うなかで感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う。

岡田 武史(おかだ たけし、1956年8 月25日 - )は、日本の元サッカー選手指導者。現在はサッカー日本代表監督日本サッカー協会特任理事2007年8 月24日より日本エンタープライズ社外取締役。「岡ちゃん」の愛称で知られる。メガネがトレードマークで、現役時代にはメガネを外さずプレーしていたほどで ある。

また、監督としては以前はジャージ姿で指揮を執っていたことでも知られていたが、2008年に 日本代表監督に復帰してからはスーツ姿で指揮を執るようになっている。