Philippe Troussier

私はみんなと仲良く、みんなと仲が悪かった。監督の仕事は選手から好かれることではない。常に殴り合いをしながら前進する感じだった。

選手と、協会と、メディアと…日本とフランス異なる価値観の衝突が、日本代表をどんどん強くした。

─日本での監督生活を振り返って

これがスポーツの掟。負けは認めなくてはいけない。それでも自分たちのサッカーを信じ、自分たちの哲学を貫き通したことに誇りを持ちたい。

うまい選手を選ぶだけなら、私でなくてもできる。ジャーナリストでも、ファンでも、街の誰かでもできる。

組織プレーが60%以上を占めるサッカーでは互いのコミュニケーションが大事。だからこそ彼らに自己表現を求めた。

それはサッカーが、機械やロボットではなく、まさしく人間のスポーツだから。

赤信号でも車が来ないと分かっているなら渡ってしまえ。

信号を守るのは身の安全を確保するためであって、規則を守ること自体が目的ではないはずだ。

彼ら(マスコミ)は監督というものが、魔術師か何かだと思っているようだ。

哲学が一致しないなら、胸を張って日本を去る。

レギュラーは一人もいない。強いていえば、私だけだ。

サッカーで起きることは、予想できないし、論理的解説もできない。

しかし唯一、監督だけがこれを予想し、自分の読み通りになったときは、一瞬天才ではないかと思える。

日本には守りの文化がない。

─攻撃陣の不安ばかりを指摘してくる日本の報道陣に対して

特に最近気づいて驚いているのは、ほとんどのスポーツ新聞の一面は一緒だということ。

─日本代表監督時に

中田は携帯電話のCMに出ているが、30回かけても全然つながらない。

以前は私も選手の部屋でポルノ映画を一緒に見ていたが、今は自由に見てもらっている。ふたりだと危険なので、3人で見てもらっているが。

彼は1230年代に生まれて、ずっと冷凍保存されて、ある日突然見つけられた。だからまだ、現代文明のコミュニケーションに慣れていない。

─なかなか代表チームに打ち解けない久保竜彦について

テレビでラモスの怒っている顔をよく見るが、何に怒っているのかよくわからない。

私は日本の利益を守るために戦っており、ローマの利益を守るためには戦っていない。

─ASローマ所属時代の中田を代表招集することについて

スター気取りになってはいけない。でないと、城や前園のように地獄に落ちることになる。

お前はパリの街をナメているのか!?

─中村俊輔が自由時間に、パリの街へジャージ姿で外出しようとしたところを見て

足を手術しろ。

─ボールコントロールに不安のあった中澤に対して

私は、監督が60%以上の勝利に対する責任を負っていると思っています。まず人間を選び、そして戦術を選び、コーチングをする。

これらは非常に難しい仕事ですが、やりがいのある仕事でもあります。

私たちは組織で戦っている。応用は許すが、原点を忘れることは許さない。

日本人がサッカーの観戦後、ビールを飲みながら飲み屋でその試合を振り返るような雰囲気を作れたとき、

初めてサッカーは国民の間に浸透したことになるだろう。

試合後は誰でも監督になってあれこれ言える。しかし試合前の決断を下すのは監督である私ひとりだけだ。

あれは新聞が書いた「連載恋愛小説」。どんな選手でも問題があればメンバーから外しベンチに置く。それで嫌いということになるのかい?

─新聞上に中田との不仲説を書き立てられて

六月の勝利の歌を忘れない 日本代表、真実の30日間ドキュメント DVD-BOX
ポニーキャニオン (2002-11-20)
売り上げランキング: 6,199

フィリップ・トルシエPhilippe Troussier1955年3 月21日 - )はフランス出身のサッカー監督。1998年2002年ま で日本サッカー協会の要請を受け、サッカー日本代表監督を務めた事で知られる。アフリカで実績を上げ、ブルキナファソにて白い呪術師(White Witchdoctor)の異名をとった。

2006 年3月に在住地のモロッコで、ドミニク夫人とともにイスラム教徒となり、イスラム教における名をオマルとし(夫人は 「アミナ」)、さらにモロッコ人の少女を養子にもらった(現在でも仕事上ではフィリップ・トルシエを使用)。